ここ数年の間に起こった様々な出来事や心境の変化を経て、これまで取り組んできた従来の作曲から少し距離を置き、しばらくは「ただ音を鳴らすだけ」を続けてみようと考えています。
英語で言ったらSound Doodle(音の落書き)といったところです。以前、ほぼ毎晩、寝る前にベッドでノートに落書きをする習慣がありました。それに似た音の記録として、この企画を「OtonoDiary - オトノダイアリ - (sound diary)」と名付けました。
本当は、ただ音を鳴らすだけにしても、大自然の美しい景色や、ミニマルで洗練された白い空間などといったイメージと調和するようなサウンドを目指すのが理想的なのかなと思っていました。けれども、今の自分がそうした環境にあるわけではないので、意図的にそうした音を作ろうとしても、どうしても不自然で作為的になってしまう感じました。
そこで、ごくごく普通の毎日を普段どおりに過ごし、その生活の中で目に映るもの、耳に届く音、頭の中でぐるぐるしている声や音などに意識を向けながら、(あるいは何もない中でも)感じたままの音を鳴らしていこうと思っています。
基本的には、即興演奏と生成音楽の組合せがベースになっています。そして、演奏した結果の音を分割して、ランダムに並べかえたり、ひとつのフレーズを切り抜いて反復させたり、グリッドからはみ出させたり…などの加工をしています。
このシリーズでは、ある程度のところからは、自分でコントロールできない、自分の意図しない音が偶発的に鳴ってしまいます。なのですが、それもそのまま受け入れ、自分なりの楽しみや聴きどころとしています。
それはきっと、音楽を作れなくなったことや、音楽を作ることがなんとなく楽しくなくなってしまった自分を受け入れたことがきっかけで、「ただ音を鳴らすだけ」という企画に辿り着いた…。その一連の流れと繋がっている気がしています。つまるところ、今の状況や自分自身を受け入れたことと、自然に重なっているのかもしれません。
ここに至るまで、「あ、もしかしたら、こういう感じで音楽をやめていくのかもな…」と思う瞬間が、何度かありました。それでも、ふと気付けば、音楽を「作ろう」とするのではなく、ただただ音を鳴らしている自分がいました。
でもそれって、ともすると最初の最初に戻ったのかなとも思っています。新しい楽器や機材を手に入れたとき、説明書も読まずに、ただ手探りで音を鳴らしてみる。そんな感覚に近いんだと思います。
さらに言うと、自分が鳴らす音と真正面に向き合う中で、昔から持っていた感覚が研ぎ澄まされていくことすら感じています。だからこそ、この音を「作品」として形にしていこうと思ったのです。
なるほどなるほど。自分ではなかなか上手く説明できなかったりする場面が多いもで、こうしてジャンルで言ってもらえると、ありがたいです。
また、その時に音の特徴についても触れていました。それらを引用したり、まとめたりしたものがコチラです。
「集中したい時やリラックスしたい時にピッタリ。」
「伝統的な作曲方法とは異なり、メロディやリズムよりも、音の層や効果に重点を置いている。」
「デジタル・マニュピレーションとサウンドデザインを活用して、独自の聴覚体験を生み出す、実験的な音楽ジャンルを示唆している。」
「歪んだ時間、断片化された記憶、浮遊する音の波。視覚と聴覚が交差する、シネマティックな音の世界。」
ここまで言われると、もはやこっぱずかしいですね。
でも、AIに聞いてみたことで、自分の方向性がより明確になったと思うし、やはり原点回帰というか、なにしろまず最初に「音を鳴らす」があるんだなと思います。
これまで、なにかを企画しても企画倒れだったり、長続きしないことが多かった私ですが、「ただ音を鳴らすだけ」なら、ずっと続けてきたことだから、このまま鳴らし続けられるかな...。そんな気がしています。
当面はYouTube、InstagramなどのSNSでアップしていきます。
音楽じゃなくてもいいんだけど、なにか音がほしいなぁって時にどうぞ。