2015年6月26日金曜日

The Beatlesカバーアルバム『Revolvah』から9年経ったので、その辺のことをあえて振り返ってみたんです。

ナンバーナイン...ナンバーナイン...ナンバーナイン...

音楽屋さんで翻訳屋さんのヒの字です。
音楽制作や翻訳(音楽関係)のお仕事をしています。

ってことで、もう9年経ったんですか!?ホントに驚きましたよ、私は。

昨日ですね、アメリカの友人ジョシュアくんがフェイスブックにTBTだと言って、私が作ったカバーアルバム『Revolvah』をシェアしてくれたんですよ。

ちなみにTBTとは、海外のSNSユーザーが曜日ごとのテーマに沿った写真なり何なりをシェアするというもので、TBTは”Throwback Thursday”の略。思い出のものをシェアする木曜日ってな感じです。そこで、9年前の、このアルバムを引っぱり出してきたんでしょうね。


えっと...。まずジャケットのデザインが酷いですwww もともと私が日本でデザインして、それをアメリカで印刷したもので、フォントやらデザインやら崩れたみたいですね。そのまま確認もなく、リリースされちゃいました。うん、とてもアメリカンw

簡単に説明しますとですね、『Revolvah』は、The Beatlesのアルバム『Revolver』を私の勝手な解釈で丸ごとカバーしたという内容です。嫌いな人はトコトン嫌う内容かもしれませんw 今聴くとミキシングとかも酷いしw

ただ、これが9年前の今頃、アメリカの一部地域、具体的にはテネシー州ナッシュヴィルとインディアナ州で何故か大ウケしてしまいまして、インディアナ州のインディーシーンを紹介するサイトでは一時だけですがランキングで1位にもなったんですね。しまいにゃ、アメリカでCDリリースして、その地域でツアーをすることにまでなったんですが、今回はその辺の話を簡単なドキュメンタリーとしてお話ししましょうか。ちょっと長くなりますけど、よろしくお付き合いいただければと思いますw

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4トラック・テープレコーダーで作った3曲から始まった

1999年にアメリカから帰国しまして、ちゃんと就職するまでバイトをしていたんですが、その頃の空き時間を使って、「Yellow Submarine」、「Tomorrow Never Knows」、そして「And Your Bird Can Sing」の3曲を録音したんですね。

あの頃は4トラックを駆使して実験的なこともいろいろしていたし、ピンポン録音などの兼ね合いで、ある程度の計画性が今よりはあったかもしれないですねw 特に「Yellow Submarine」は効果音的なところが凝った感じになってますね。何度テープをひっくり返したかって話ですw 「And Your Bird Can Sing」に関しては、自分でリズムが叩けなかったので、母にお願いして叩いてもらっています。それから祖父が持っていたマンドーラも滑稽な風味を出しているかと思いますw

で、この時に気付いたのが、この3曲って全部『Revolver』の曲じゃんかってことです。そしたら、ついでだから、このままアルバムをこの調子で全部カバーしてしまえばいいじゃん!となったワケです。

機材がハイテクにwww

先程の3曲が出来てから就職も決まり、群馬寄りの埼玉にある実家から東京に出てきたのですが、いよいよ4トラックもあちこち故障まではいかなくとも、いろいろと不具合が出てきてしまいしまして、最先端の録音機材に買い換えるか~となり購入したのが、Korg D1600というハードディスク・レコーダーと、YAMAHAのQY70というシーケンサーだったんですね。

当時、私の仕事は出張が多かったので、出張先のホテルでQY70で打ち込み作業、帰宅してからD1600にトラックごとの落とし込みをして、ギターやボーカルを録音していたんですが、まぁ時間に限りがあるってことで、なかなか進まなかったのではありますが、『Revolver』収録曲を違うアレンジでカバーし続けておりました。

アレンジという点で、QY70は欲しかった音が殆ど揃っていたし、プリセットもかなりのインスピレーションになりましたね。なんなら「Here, There, and Everywhere」なんかは、音を変えてるパートはあってもアレンジ的にはプリセットをまんま使ってますw これは聴く人が聴いたらすぐに分かるかと思いますよ。

今度は私が壊れたw → からの「再開」

その後、転職などしたのですが、ある日大きく体調を崩しまして、仕事を辞めることになりました。そんな時に、ふとアメリカにいた時の友人は今なにやってんだろうと思いまして、インターネッツで調べていたら、今や懐かしいMySpaceで友人たちがバンドのページを持っているのを発見しました。

それが10年前の2005年ですかね。早速、私もMySpaceに登録して連絡を取りましたところ、連中が「今、どんなバンドやってんの?どんな音楽やってんのメーン?」と質問攻めをしてきたので、「Revolverを丸ごとカバーしてるんだよね。もうほぼ完成なんだメーン。」と答えると、「今すぐ送ってくれメーン」と言われたので、「オッケー、メーン」と。

そして全米、いやアメリカの一部地域がひっくり返ったw

とりあえず音源をCDを落としてアメリカの友人に送り数週間が経ったころ、再び連絡があり「おい!お前のRevolvahをいろんな人に聴かせたが、全員ひっくりかえっているぞ!」とw その友人とは私と長いことルームシェアをしていたアンディ君で、彼によると、インディアナ州からやってきたスニー君が地元のインディーシーンにも紹介したところ、あちらでもみんながひっくり返っているとのこと。そして、インディアナ州のインディーミュージックサイトMusical Family Tree(以下MFT)の運営者も気に入ってくれたらしく、音源をそのサイトで紹介してもらうことになったワケです。

当時、MFTはダウンロード数とか再生数のランキングも掲載していたんですが、多くの人々が『Revolvah』を試聴したりDLしたりしてくれたおかげで、初登場でいきなり上位、その後もグングン数字を伸ばしていき、しまいには1位になってしまったんですね。その時は、毎日のように多数の友達申請がMySpaceにきていてホントにビックリしました。これがクチコミってヤツなのかと。

この時、mixiのコミュでも私自身がこのことを紹介したら、なかなか盛り上がりまして、色んな方々に聴いてもらったりDLしてもらったりしたので、MFTのランキングで1位になれたというのもあったワケですね。感謝感謝です。

CDリリースからのUSツアー

この盛り上がりがピークを迎えた頃がちょうど9年前の今頃だったワケですが、アンディから再び連絡が入り、「実はインディアナで身内の音楽フェスがあるんだが、ウチらでバックバンドやるからアメリカ来てくんねぇ?」と。それがいろいろと話しているうちに、ついでなのでCDとしてリリースし、その辺をちょろっとツアーしちゃわね?という話に膨らみました。

実は、この頃だいぶ回復はしていたんですが、まだ病院には通っていたので先生にも相談してOKをもらい、妻にも相談して貯めてあったマイレージがあるということで、それじゃ行きましょうかアメリカ、という流れになりました。(ちなみに、私も妻もナッシュヴィルで同じ大学に通っていたので、ちとしたステキな旅でもあったワケですw)

この後、アメリカで友人と感動の再会あり、現地で知らない人がみんな私のことを知っていたり、ラジオで曲が流れていたり、ケツが痛くなるほどの長時間ドライブの末、実は寝る場所が確保されていなかった話(アメリカンおもてなしw)やらなんやらかんやら、そして帰国してからオケや映像を使ってのひとりライブなどなど、いろいろとありましたが、その辺りの詳細は省略!

というワケで、聴いていただきましょうか。
私の9年前の作品、The Beatlesカバーアルバム『Revolvah』。コチラからどうぞ!


P.S. 実は約1ヶ月前にケアンズ在住のEtissopoさんにネットラジオで曲を紹介して頂くにあたり、打ち合わせメールの中で『Revolvah』の話になったのですが、まぁ、そのほんの1ヶ月前までは、もう昔のこととして割り切っていると思っていて、その旨をお伝えしたものの、こうしてEtissopoさんやジョッシュが今でも良いと言ってくれていることに、やはり嬉しく思ったり、感謝しているので、今回あえて、その当時を振り返ることにしました。

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*私ヒの字は音楽制作や翻訳(音楽関係)のお仕事をしています。
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